失恋したら悲劇のヒロインになってしまえばいい
お別れした。
お別れした。
お別れしましょうか、と言われた。
この間書いた日記は、「距離を置こう」と言われて、
「うん、わかった。また連絡待ってるね」と言ってからしばらく経った後のこと。
私はまた、1カ月の期間を設けて、自分自身と向き合い反省し、気持ちを新たにすることで、またもと通りに戻れるのだろうと思っていた。
勝手に、私は一人で妄想していた。
また、期待していた。
お別れしてしまったときのことは、たくさんたくさんここで書き残したいのだけど、
多分きっと本当に長くなってしまう。
私はいつもそうだ。
心が揺さぶられる出来事があると、
その一瞬一瞬の出来事を、状況を何もかも鮮明に記憶に残してしまって、
何度も思い出してしまう。
そして、日記や歌詞や文章に変えていくことで、
心を落ち着かせ整理するのと同時に、私は私を悲劇のヒロインたらしめるのだ。
だって、そんな風にしないと、きっと前に進めない気がするから。
いつもそう。
マイナスやネガティブな気持ち、落ち込んだりすると、
もうそれは本当にものすごく、ものすごく悲劇のヒロインになってしまう。
まるで、恋愛ドラマの主人公みたいに。
でもね、それでいいの。
ドラマの主人公になりきって、”悲劇のヒロインの私”に酔ってしまっていい。
例えば?
この間、振られてしまったときなんかも、
最寄り駅について、すぐ近くの川沿いを歩きたくなった。
川沿いにあるベンチに座って、一人でたくさん、泣いた。
なんとなくこう、物語にありそうなシチュエーション。
そうやって工夫すると、部屋で一人こもりきってふさぎ込むよりはいい。
そこで、一人、たくさんたくさん泣いた。
今日は、もうこれでもかというくらい全部出し切ろう。
泣いてしまおう。
誰にどう思われてもいい。
周りの人に「何あの人?」と不思議に思われてもいい。
そう思いながら、今までの彼と過ごしたとっても楽しかった思い出たちを思い出しながら、泣いた。
時には、空を見上げながら、
あぁ別れたんだ。別れてしまった。
ついこの間までは、うまくやれていたのに。
ついこの間までは、誕生日お祝いしたいと言っていたのに。
そう、「うまくやれていた」のだ。
きっと、そう。
うまくいくように、やろうとしていた。
そんな気がする。
彼がどうだったか、それはわからないけれど、
少なくとも私は、確かに本音での付き合いはできていなかった。
どうも私は、人に対する警戒心が強すぎる。あまりにも。
まぁそれだけではないのだけれど。
自分自身の素を出せるような、心から深いつながりにはなれなかった。
それをずっと、1年とちょっと、私もどこかで分かっていながら、
別れを切り出すことはできなかった。
どこか、違和感を感じながら、ごまかしていた。
うまくやれているように、その違和感や不安に蓋をしていた。
見えないように、ごまかしていたかもしれない。
そして、彼に対する感情は、最後の方は、
「好き」というものでなくて、
あれはきっと「執着」に過ぎなかった。
「好き」という感情と「執着」「依存」という感情を同じにしてはいけない。
そう気づいた。
別れの理由はいろいろあるのだけれど、
簡単に言えば、「価値観の違い」というよくある理由だ。
「価値観の違い」というより、
「価値観の違いをお互い合わせきれなかった」という方がきっと正しい。
私は繊細で傷つきやすい、感情を揺さぶられやすい、HSP気質な性格で。
神経質だから、相手の言葉や態度にすぐ心が揺さぶられてしまうことがある。
相手は悪気がなくても、たまに出てくる言葉や態度が、私の心にはグサッと刺さるものが良くあった。
私はそれを言葉にして伝えようと努力していた。
だけれど、相手には「ずっとこういうすれ違いが続くのはしんどいと感じてしまう」と言われた。
根本的に、本質的に、どこか深い部分で理解しきれず、どうしても合わせることができなかった。どちらかが悪いのでなくて、もうそれはお互いの相性みたいなものだから仕方がないことで。
上手く話しがまとまらない。
まだまだ言葉にしたいことがたくさんあるのだけれど。
少し一休み。
また続きは、気が向いたら、書き残そうかな。
少し話は変わるけれど、
今この文章を書いていて思うのは、
私は一つの出来事に対して、本当にぐるぐる、ぐるぐる、ぐるぐると何度も深く深く考えてしまうんだなぁというこうと。
良くも悪くも。
良くも悪くも、頭の思考回路がぐるぐる回る感じ。
ずっとずっと長い間、考えを巡らせている感じ。
基本的に、自分は自分の内面といつも対話しているんだなと思う。
まだまだ書きたいけれど。
一度ここでおしまい。