穏やかな心でいるために、休みの日はメール見なくていい
穏やかな心でいるために、
仕事が休みの日は、メールは見ないほうがいい。
あらためてそう実感した。
今日は仕事が休みの日。
昨日の私の小さなミスで、上司に、
「原因を確認し、今後に向けて改善」という趣旨のメールが届いていた。
その一件で、人一倍責任感が強く感受性豊かで傷つきやすく打たれ弱い、私の心はもうズタボロだ。
さっきからずっと、そのことで頭がいっぱいになる。
貴重なお休みの時間だというのに。
なんて、もったいない。
頭の中も、心の中も、ずっと一つのことで考え込んでしまうのだ。
明日はこうしなきゃ、こうした方が良いのかな、と先のことをずっと考えこんでしまっている。
そのモヤモヤを抱えたまま、部屋でぼーっとしている自分に気がついた。
そして、「あぁ、このまま抱え込んでしまったら、どんどん病んでいきそうだな」と。
だから、ちゃんと自分の思考を、まずは言葉にかえてみようと思った。
そうすれば、少しは頭も心もすっきりするんじゃないかって。
私は本当に心が弱いと思う。打たれ弱い。
自己肯定感も低い。自信もない。他人からの評価を気にしてしまう。責任感だけは強い(と思い込んでいるだけかもしれないが。)
一度の失敗でものすごく自分を責めてしまう。
不安や心配を感じることが多い。
いつも全力で一所懸命頑張りすぎてしまう。
自分の性格的に、いつかどこかで爆発してしまうんじゃないか、といつも思っている。
幸い、精神的に落ち込むことが続くような状態には未だなっていないのだが。
逆に、なぜ未だになっていないのだろう…と考えたときに、
「周りの人に恵まれているから」なんじゃないかと思った。
いつも、私の味方でいてくれる人がいる。
なんだかんだ、私のことを支えてくれている人がいる。
そういうひとが一人でもいてくれる。それに気づける。
そして、それに気づくことができるのも、嬉しいと思う。
いつも話を聞いてくれたり、優しさや愛をあたえてくれたり、
あたたかい言葉をかけてくれたり、時間を作って会ってくれたり。
私はきっと、ちゃんと周りの人に恵まれている。
それに気づけるかどうか、なのかもしれない。
なんだか、ここ最近は本当に涙もろくて、今この文章を書いているときも、
うるうると涙目になっている。(女の人にはあるよね、そういう期間)
「ない」ものだけを欲しからず、
「ある」ものに気づくこと。
今の自分の環境に「幸せ」を見出すこと。
私は、周りの人に恵まれている。
人数なんかじゃないよ。一人でもいてくれれば、大丈夫なの。
それに気づけて、「ありがとう。いつも支えてくれてありがとう。」って、
そうやって感謝できること。
色々なことが絡み合って複雑だけれど、
今の私には、そんなことが心の支えなのかもしれない。
それからもう一つ、私を支えていることに付け加えるのであれば、
「自分ひとりの時間を持てること」かもしれない。
究極は「自分自身」なのかもしれない。
今日もお仕事がんばった~~~って、
たまにコンビニで買うあたたかいココアとか肉まんとか唐揚げとか。
今日はゆっくりだらけちゃおうっていう時間を作ってあげるとか。
オレンジ色のランプをつけておしゃれな音楽を流して、
部屋を心地いい環境に整えてあげるとか。
やっぱり、「いつもがんばっている自分のためのご褒美」って大切なんだなと改めて思う。
自分の心と丁寧に向き合うこと。
それをちゃんと、私は大事に持っていたい。
辛いこと、嫌なこと、モヤモヤすること、理不尽を感じること。
負の感情を感じるのは当たり前。人間だもの。
そういう自分の気持ちに対して、どうやって向き合うか?対処してあげるか?
その方法を、ちゃんと自分でわかってあげること。
それはきっと人によって違うと思う。
私の場合は、こうやって文章にすること。
モヤモヤが募っていたら、朝でも夜でも日記にペンを走らせて文章を書いている。
それだけで心はほんの少しすっきりする。
思考は整理されるし、感情は落ち着いてくる。
後からそのノートや文章を読み返せば、
あぁ自分はこうやって感じてこうやって思って、こうやって対処できたんだなぁって、
ちゃんと学びの一つになったりするよ。
つらつらと書いてきたけれど、
同じようにモヤモヤを抱えている人、そうでない人でも、
必要な人に届いていたらいいなと思う。
でも結局、
この文章もすべて自分のため。
自分のためにやっていること。
今日は、ゆっくりとお風呂につかってゆっくり夜を過ごし、
明日のお仕事に備えようかと思います…。
それでは。