shion's diary

思考と感情と言葉

毎日少しずつ、でも確実に近づいているもの

「毎日少しずつ、でも確実に近づいているものは何?」

答えは、「死」。

 

実家に帰省した兄弟となぞなぞクイズを出し合っているとき、

こんななぞなぞをネットで見つけた。

 

なんだか、縁起の良くない言葉であまり使いたくないのだけれど、

そういえば普段の生活のなかでそれほど意識しない言葉だと思う。

だって、もう、毎日を生きるのに必死だから。

そんなことを考えるきっかけも余裕もない。少なくとも私には。

ありがたいことなのかもしれない。

 

でも、別にそんな深く考えたりする必要なんてなく、

ただただ確実に終わりに近づいているのだと思った。

それだけのことだ。

 

命を大切にとかそういう大それた話をしたいわけではない。

意外と私たちは終わり方を知らない。想像しようがない。

 

まだ起きてもいないほんの少し先の未来のことを、

考えすぎて不安になってしまうことが多い性格なのだけれど、

あぁ意外とそんなに深く悩みこむ必要もないんじゃないかと、少しだけ思っている。

 

本当に、人生って何が起きるかわからないもので。

どんな人に出会い、どんなことを経験し、どんなことを考え感じるのか、

先のことなんて本当に想像もつかない。

同じく、これまでの人生で過去に起きたことも、すべて計画通りに進んでこれたわけではない。

その時になってみないと、やっぱりわからないものだ。

 

大学生のころ長期留学をしたのだけれど、

留学先をアメリカやイギリスではなく東南アジアを選んだことも、

カフェで知り合った何歳も年上の外国人とパートナーになったことも、数年前までは予想もしていなかった。

 

結婚するために日本を出て移住するんだとか、じゃあ移住したらどんな仕事をしようか、年齢が離れているから将来はどうしようかとか、子供はどんな学校に通うのがいいのかとか。

気が付けば、そんなことをたくさん考えていて、

一時的な不安をごまかしたいがために、目的もなくネットサーフィンばかりした時期もあった。

 

そして、日本に帰国してからの2年間も遠距離恋愛で続いて、毎日のように電話でコミュニケーションをし、”もうこの人がいない人生は考えられない”、”ずっと一緒にいるんだ”と思った決意も、儚く終わりになってしまったのだ。やっぱり、想像なんてしたことがなかった。

 

留学先で一緒に過ごした半年と遠距離でほぼ会えなかった2年間、紛れもなく確実にお互いを想い合ってきたのだけれど、それでも、確実に終わりに近づいていたのだった。

 

まだ起きてもいない未来を想像して不安や心配を感じるより、

今現在を生きていたい。

もう過ぎ去ってしまってどうしようもすることができない過去を悔やむより、

今現在を生きていたい。

 

”ない”ものを必死になって欲しがるより、

”ある”ものを大切にしたい。愛したい。

 

本当の意味で心から実感できるようになったら、

実践できるようになったら、

きっと、今の私よりほんの少しは大人になれるだろうか。

 

でもね、きっと大丈夫だと思う。

どんなことも、なるようになる。

冒頭のなぞなぞの答えから、こんなにも話が広がるなんて、

私自身も想像していなかったのだから…。